想像マネジメントのすゝめ

中間管理職、店長の為のマネジメント手法を紹介。 店舗運営ノウハウも紹介していきます。

いきなり表題からゲームのタイトルです。
最近、FINAL FANTASYのナンバリング最新作16が発売されました。

私は、幼き頃からFINAL FANTASYの大ファンで、新しいタイトルが出ればいつもプレイしていました。
世間的には家でゲームばっかりしていたら、ろくな大人にならないなんて、言われている時代でしたが、今思えばゲームから得るものも多々あったように思います。

ゲームに全く興味のない方も多いと思いますが、ゲームも人が作ったものであり、製作者の意図が物語に表現されていて自分としては、色々な学びがあります。

今回の16は、エネルギーの奪い合いと人種差別がテーマ。
全ての動力源であるクリスタルを巡って各国が戦争を行う。
この世界では、2つの人種があり、
人:クリスタルがないと魔法を使えない人
ベアラー:生まれながらにクリスタルなしで魔法を使える人

全く意味が分からないと思いますが、現代社会でいう、
電気=魔法、クリスタル=石油
と考えると理解ができるかと思います。

人は、石油を利用して電気を発電し、電気を使ってお湯を沸かしたり、冷蔵庫で物を冷やしたりして生活を送りますが、この世界のベアラーは、電気がなくても自らの力でお湯を沸かしたり、物を冷やしたりできるということです。

ベアラーは、生まれながらに差別され、人の奴隷として生きていく運命で、人にこき使われながら生命エネルギーを使用して最後は、石になって死ぬ。
自分の子供がベアラーとして生まれたら、政府に引き取ってもらうような、生まれながらに人種差別が溢れた世界。

主人公は、人もベアラーも平等にヒトがヒトとして死ねる世界を作るため、エネルギーの源であり、戦争の根源であるクリスタルを破壊していくというストーリーです。

あらすじはここまでとして、
地球のこと、人類の歴史のことを考えさせられるストーリーです。

ゲームから学ぶことはないと思っている方も多いと思いますが、子供の頃からゲームに触れていて思うのは、道徳観や倫理観は、ゲームに影響を受けている部分もあるのだなと今は思っています。

かつて、ゲームなんてと言われた時代から今は、プロゲーマーが生まれ、eスポーツという言葉で出るほどの大きな産業となり、マリオで有名な任天堂は、日本を代表する企業となりました。

ちなみに、私は、FAINAL FANTASYの発売元のスクエア・エニックスの株を保有しているのですが、購入時よりも2,083円値上がりしていて、応援していて良かったです。

自分自身40歳を超え、人生も折り返しとなっていますが、新しいことや流行っていること、他人の趣味趣向に偏見は持たず、自分の成長に繋げていけるように精進していこうと思います。

最後に、幼少時代にゲームも含めて自分の興味に偏見を持たずに投資してくれた両親に感謝したいと思います。


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私の所属する会社は、設立から14年。次が15年目です。
私は、1年目の最後に入社したので、丸13年が経ちました。

10年以上、同じ会社に勤務すると良い時期、厳しい時期、色々が経験ができます。

皆さんが今までの中で1番長く続けていることはなんでしょうか?

私は、音楽活動が1番長いです。
知っている方もいらっしゃると思いますが、高校2年17歳の時からDJをしており、今も現役で音楽活動を続けていますので、もう23年続けていることになりますね。

大学生の頃は、月に8本以上のクラブイベントに出演をしていました。
仲間内には、プロで今もDJをしている友人もいます。
私は、企業に就職という道を選びましたが、当時お世話になっていたクラブのオーナー(世界的に有名なDJです。)から言われた言葉があります。

「音楽をどう続けていくかを考えろ。」

私は、当時意図は、わからなかったのですが、強烈にその言葉が心に残りました。

社会に出て1年半は、現場の活動を休止しておりましたが、その後は、なんだかんだ現役で続けてこれました。

20年以上続けていると時代の変化がよく分かります。
当時は、美容室にクラブイベントのチラシを置いてもらう営業をして回ったり、ガラケーしかなかったので、携帯のホームページを作って曲紹介したりとアナログな宣伝活動をしていました。

今は、スマホが普及し、SNSは、誰もがアカウントを持っているので、より簡単に宣伝ができる環境になりました。

振り返ってみると、20年以上音楽を続けてこれたのは、この時代の流れに向き合ってきたからなのかなと感じます。

私の今の活動の主戦場は、YouTubeです。
チャンネル登録者は、なんとか3,000人を突破しました。
リスナーさんともたまにご飯に行ったりするのですが、ほとんどが私の先輩で、商業施設の運営の部長さんだったり、イタリアの輸入アパレルを営む会社の取締役だったりとビジネスにおいても色々な話を聞くことができます。

皆さんも、何かを理由に諦めたことがありませんか?
ビジネスにおいては、利益が最重要ですので、赤字事業であれば撤退せざるを得ない時はあります。

規模が大きかろうと小さかろうと、どうやって続けていけるか?
少なくとも続けることで見えてくる世界もあります。

一度、辞めても諦めなければ這い上がれる時があると信じて日々精進したいと思います。

最後にファンから頂いたメッセージを紹介して心を熱く持って頂ければ幸いです。

私事で恐縮なですが、少し私の心情をお話したく文面続けます事をお許しください、私は89年に田舎の高校を卒業し当時地方の就職難の為に誰1人身寄りも居ない関東に上京してきました、慣れない土地と初めての仕事で大変苦労な思いでの中で、唯一週末のクラブ通いが当時1番の楽しみでした、毎日毎日同じ作業の繰り返しの中、仕事で仲良くなった友達と横浜、芝浦、渋谷、六本木のクラブの話しや音、服、女の事ばかり話して今思えば何も考えず1番幸せな時期を過ごしていたんだと思うようになりました。 
90sのクラブミュージックを聞くと一曲一曲若かりし頃の当時の思い出が蘇り、懐かしくも嬉しさも悲しさも色々な感情が何回も込み上げて来ます、 
YouTubeで毎日通勤時に当時を思いだしながらDJジャージk.チャンネルを色々聴き仕事で疲れた私の気持ちを和ませて頂いています。 
90年代のクラブミュージックは私にとって青春そのものです、長々と事情を述べすいませんでした、 
又チャンネル登録しているファンの方々の為にもチャンネルUP頑張ってください、いつまでも応援してあります。 



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この記事を書いている私の自己紹介が出来ていなかったので、ここで改めて自分の履歴書を記載したいと思います。

1982年生まれの戌年の奈良県出身です。

父は、定年まで1つの会社で働き、母は、会社員を経て
子育てを近くでするため、自宅で学習塾を開講し、今はバイトをしながらフラワーアレンジメントの仕事をしています。

そんな家に生まれ、小中高と全て公立の学校を出て、
高校卒業までサッカーをしていました。
サッカー部にしては、上手ではなかったですし、そんなに努力もしなかったので、万年スーパーサブ止まりでした。

その後、地方の国立大学へ進学し、大学院(修士課程)卒業までの6年間を長野県で過ごしました。

新卒で東京の企業へ就職しました。
初めて就職した会社は、マザーズから東証一部へ市場変更したばかりの金融ベンチャー企業です。

大学時は、アパレル企業に入りたかったのですが、大学院まで進学し研究室の教授が経営学専攻だったため、より幅広く会社のことを知った方が幅が広がるのではと思い、金融業界を志望しました。

その当時は、小さな就職バブルだったので新卒採用も積極的で約100名程度の会社で同期が30人もいました。
営業部に配属でしたが、入社一年目は、地獄でした。
上司からは、毎日詰められ、勤務時間は、午前8時過ぎから終電までが当たり前。
土日休みでしたから、金曜日は、時々部署の飲み会があり自主的に参加していましたが、うまく立ち振る舞えず、「なんで来たん?」「本当、喋んねーな。」などと、飲み会でも詰められるという有様でした。

体力的にも精神的にも負荷が酷くて、毎朝自宅から最寄駅に行くまでの間、朝食を道で吐くという毎日。
その頃から、朝食は抜くようになりました。

社会人一年目だったので、社会はそんなもんだろうと思って続けていました。
でも、続ければ色々見えてくるもので、ある日の飲み会でお酒も入っていたこともあり、苛立ちが頂点に達したとき、いつも通りの上司からの「喋んねーな。」に「うるさいなぁ〜、好きで飲みに来てるねんからえーやろ。」って言った時に、上司は全員笑ってくれて、そこでキレキャラが定着し、上司からも会社からも受け入れられた感覚になったのを覚えています。

入社して1年半経過した頃に、営業部から経営企画室へ異動が決まりました。
入社前から憧れていた部署だったので、異動前に任されるであろう仕事を予め予習もしましたが、段違いの能力の優秀な上司で、着いていくのに必死でした。
ただ、そこで学んだ考えは今の自分を支えています。

3年目でリーマンショックがあり、金融・不動産業界は、一気に不況に陥りました。
不良債権を抱え業績不振になり、倒産寸前のところまで行きましたが、第三者割当増資により、オーナー企業から大手企業の傘下に入りました。
入社した当時の経営陣は、全員交代となりました。

その頃に、現在の社長から転職の誘いを受けて今の会社に転職しました。
もともと、親からも3年間は一つの会社で頑張りなさいと言われてましたので、3年経ったら転職も含め、今後を考えようと思っていたので自分の中の時期としては、ちょうど良い。

現在の会社は、輸入化粧品を取り扱う事業を営んでいますが、社会に出てから金融業界という、カネでカネを生み出すことをやってきました。

もともと、アパレル企業に就職したかったこともあり、いつかはモノを扱う事業をしてみたいという思いもあったため、転職を決意しました。

ということが、現在の会社に入るまでの経緯です。
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