この記事を書いている私の自己紹介が出来ていなかったので、ここで改めて自分の履歴書を記載したいと思います。

1982年生まれの戌年の奈良県出身です。

父は、定年まで1つの会社で働き、母は、会社員を経て
子育てを近くでするため、自宅で学習塾を開講し、今はバイトをしながらフラワーアレンジメントの仕事をしています。

そんな家に生まれ、小中高と全て公立の学校を出て、
高校卒業までサッカーをしていました。
サッカー部にしては、上手ではなかったですし、そんなに努力もしなかったので、万年スーパーサブ止まりでした。

その後、地方の国立大学へ進学し、大学院(修士課程)卒業までの6年間を長野県で過ごしました。

新卒で東京の企業へ就職しました。
初めて就職した会社は、マザーズから東証一部へ市場変更したばかりの金融ベンチャー企業です。

大学時は、アパレル企業に入りたかったのですが、大学院まで進学し研究室の教授が経営学専攻だったため、より幅広く会社のことを知った方が幅が広がるのではと思い、金融業界を志望しました。

その当時は、小さな就職バブルだったので新卒採用も積極的で約100名程度の会社で同期が30人もいました。
営業部に配属でしたが、入社一年目は、地獄でした。
上司からは、毎日詰められ、勤務時間は、午前8時過ぎから終電までが当たり前。
土日休みでしたから、金曜日は、時々部署の飲み会があり自主的に参加していましたが、うまく立ち振る舞えず、「なんで来たん?」「本当、喋んねーな。」などと、飲み会でも詰められるという有様でした。

体力的にも精神的にも負荷が酷くて、毎朝自宅から最寄駅に行くまでの間、朝食を道で吐くという毎日。
その頃から、朝食は抜くようになりました。

社会人一年目だったので、社会はそんなもんだろうと思って続けていました。
でも、続ければ色々見えてくるもので、ある日の飲み会でお酒も入っていたこともあり、苛立ちが頂点に達したとき、いつも通りの上司からの「喋んねーな。」に「うるさいなぁ〜、好きで飲みに来てるねんからえーやろ。」って言った時に、上司は全員笑ってくれて、そこでキレキャラが定着し、上司からも会社からも受け入れられた感覚になったのを覚えています。

入社して1年半経過した頃に、営業部から経営企画室へ異動が決まりました。
入社前から憧れていた部署だったので、異動前に任されるであろう仕事を予め予習もしましたが、段違いの能力の優秀な上司で、着いていくのに必死でした。
ただ、そこで学んだ考えは今の自分を支えています。

3年目でリーマンショックがあり、金融・不動産業界は、一気に不況に陥りました。
不良債権を抱え業績不振になり、倒産寸前のところまで行きましたが、第三者割当増資により、オーナー企業から大手企業の傘下に入りました。
入社した当時の経営陣は、全員交代となりました。

その頃に、現在の社長から転職の誘いを受けて今の会社に転職しました。
もともと、親からも3年間は一つの会社で頑張りなさいと言われてましたので、3年経ったら転職も含め、今後を考えようと思っていたので自分の中の時期としては、ちょうど良い。

現在の会社は、輸入化粧品を取り扱う事業を営んでいますが、社会に出てから金融業界という、カネでカネを生み出すことをやってきました。

もともと、アパレル企業に就職したかったこともあり、いつかはモノを扱う事業をしてみたいという思いもあったため、転職を決意しました。

ということが、現在の会社に入るまでの経緯です。